フィリピンは、1億人を超える人口の多さと平均年齢23歳という若さ、英語圏で成長率も非常に高く、まさにアジアを代表する成長国の一つと言えます。
さらにIT分野に絞ってみると、近年はIT技術者の育成に国をあげて力を入れており、エンジニアの多くが大学卒であるため技術水準も高く、国内のみならず欧米を中心に世界中でフィリピン人エンジニアが活躍しています。また、親日国で日本との時差が1時間であることから、特に日本とのビジネス上でのメリットが大きい国でもあるのです。
今回は日本でフリーランスエンジニアとして独立した後、IT教育事業やIT留学・オフショア部署等の立ち上げなどの経験を経て、現在フィリピンのセブ島でSeedTech, Inc.のCTOを務めている平井さんに、フィリピンの現状や、失敗を繰り返し見つけ出したフィリピン人エンジニアのマネジメント方法などをお送りします!
平井 真哉 氏 | SeedTech, Inc.
大学時代にプログラミングに魅了され、 若くしてフリーランス・エンジニアとして独立。IT教育事業を日本国内で立ち上げた後フィリピンセブ島に渡り、NexSeed, Inc.(現SeedTech, Inc.)に創業メンバーとしてジョイン。IT留学・オフショア部署の立ち上げを牽引し、現在はCTOを務める。
プログラミングにどんどんハマり、現在はフィリピンでオフショア開発
エンジニアになった経緯を教えてください!
大学ではスポーツマネジメントを学んでいたのですが、当時はその道で食べていくイメージがつきませんでした。そんな悩みを抱えていた大学時代にiPhoneが発売され、そのアプリを作った人が稼いでいるという記事を偶然見て感化されました。そこで実際にプログラミングを始めてみるとすごく楽しくてのめり込むようになり、最終的にはプログラミングの道を極めるために大学を辞めて上京し、独学で勉強を始めました。
御社に参画するに至った経緯を教えてください!
上京して独学でプログラミングを勉強していた頃は、今以上にエンジニアが不足していたので、1年くらい勉強すればフリーランスで仕事が取れていました。当時プログラミングをやる上で英語が必要だと思っていて、英語圏かつ物価が安い国でフリーランスとして仕事をしていれば良い暮らしができるなという想いもあり、海外で英語の勉強をしようと決意しました。そこで選んだのがフィリピンだったんです。
渡航の準備をしていた時、現在の代表である高原が新しくフィリピンで事業を立ち上げようとしていてエンジニアを探していると友人伝いで聞きまして、フリーランスで1人世界を回るよりも、高原と一緒に事業を作っていくことに魅力を感じたので弊社にジョインすることにしました。
フィリピンに軸足を置くことは大きな決断だと思いますが、そこはあまりハードルではなかったのでしょうか?
その当時は全くそう感じませんでしたね、むしろその選択の方が良いと思っていました。当時21-22歳で、同年代が新卒で社会に出る年だったんですが、私は特に背負っているものもなかったですし、やりたいことをやれる状況でした。
他の人と同じことをやっていても自分の価値は発揮できないと感じていて、変わったことをしてエッジを効かせていきたいなと思っていました。フィリピンのセブは当時から物価が安くて、人々は英語を話す成長著しい地域だったので、金額の割に良い暮らしができましたし、セブ移住にはとてもワクワクしていました。
価値観が全く違うフィリピン人との苦労の末、編み出したマネジメント方法
フィリピンの方々をマネジメントする上で気をつけていることはありますか?
共通認識が全然違うので「私の中の当たり前は通じないから、ちゃんと言葉にしないと分からない」という意識が常に自分の頭の中にあります。
例えば、「1回目の注意をみんなの前でやらないこと」は意識しています。別の部屋やオンラインでやりとりするなど、何か注意をする時は1対1で行うようにしていますね。また、相手の考えや背景を全部聞いた上で、何が良くなかったのかを理解してもらい次に進めるようにしています。今までの経験から、そういったマネジメント方法がフィリピン人には合っていると思います。
また、弊社立ち上げ当初は、お客様との大事な打ち合わせがあってもメンバーから当日の朝に突然休みますと連絡がくることが平気であったんです。日本の感覚だと、さすがにそれは強めに怒られると思うのですが、それをしてしまって次の日からそのメンバーが来なくなってしまうこともあったんです。なので、怒るとか罰するネガティブなものではなく、上手くできたことに対してインセンティブをあげる仕組みにしました。例えば、朝礼無欠席を30日連続したら給料上げるなどをして、日本のやり方に囚われずにルールをアップデートしています。
注意するときに個別に呼んで話す目的は何ですか?
みんなの前だと素直に受け入れず、言い訳口調になってしまう人が多かったんですが、反対に1対1で話してみると素直に気持ちを伝えてくれる場合が多かったんです。なので、1-2回目は1対1で親身に対応し、それでも修正してくれない場合はみんなの前で少しプレッシャーを感じてもらいながら注意するといったように使い分けています。
マネジメントでの失敗談はありますか?
過去に弊社で英語留学サービスを展開していた時、私はそこで100名ほどのフィリピン人講師をマネジメントしていました。人数が多かったため、部下の名前と顔が一致しない中で進めていたら、いつの間にか部下同士で派閥ができていたんです。Aチームに力が偏って、Bチームからは退職者が続出してしまったりしてしまい、そのとき私は派閥のバランスが保たれるようにチーム構成・席配置・ミーティング構成を変えるなどをして改善しました。
しかし、その後「この要求を会社もしくは平井が呑まなければ明日から私たちは来ません」と30-40名の署名を突き出されて、ボイコット一歩手前までいったことまでありました(笑)その時は、メンバーを100名集めて、流暢ではない英語で納得してもらえるまで話したこともありましたね。今となっては良い経験ですけど、フィリピンと日本の労働に関する価値観・基準・法律は全然違うのでそこに翻弄されたことはかなりありましたね。
現在はオンラインも活用されているとのことですが、オンラインで団結方法を高める方法を教えてください!
毎日出社時と退社時に必ず全員がzoomに顔出しで参加して、近況などを一言シェアする場を設けています。また、スタッフからすればコロナ禍でうちの会社は大丈夫か不安だと思うので、会社の中長期的なビジョンや現状の課題と対策を共有して未来を見せるようにしています。
弊社では、業績などを共有する場を毎月設けていて、少しでもスタッフの不安を取り除けるように工夫しています。こういった意思疎通が弊社の強みだと考えています。
フィリピンの所得格差を教育で変えていきたい
今後の展望を教えてください!
私はセブでフィリピン人と仕事をする中で、フィリピンという国にもフィリピン人エンジニアにもすごくポテンシャルを感じています。英語が話せて頭の回転も早い優秀な方が揃っているので、エンジニアとしてキャリアを積んでいけばシリコンバレーでも通用する人材になれるでしょう。そういった可能性がある若いメンバーのキャリアアップができる場所を、組織として作っていきたいなと思います。
その中でやはり教育が大事だと思っています。フィリピンは貧富の差がすごく激しくて、大豪邸のある横でストリートチルドレンが物乞いをしているような世界なんです。今までは生まれた時の環境に抗えなかった方でも、学べる環境さえあれば優秀なエンジニアになってお金を稼ぎ家族を助けられる人も増えるのではないかと思います。学べる環境があり、クオリティの高い成果物に相応の報酬が与えられる先進国の世界をフィリピンでも作っていきたいなと思います。
現在、オフショア事業で日本からの案件も受けていて、それをフィリピン人とやっていきたいと思っています。その1本目の架け橋として、フィリピン人向けに無料のプログラミング教育学校を開いていて、そこで数ヶ月学んで最終試験に合格すれば、弊社に入社し仕事ができるような仕組みになっています。環境に恵まれなかった方々をどんどん育てて、最終的にはその彼らが私たちと一緒になって日本の人材不足や少子高齢化を助けるような良きパートナーになって欲しいと願っています。その架け橋になれるよう個人としても、会社としてもやっていけたらなと思います。
最後に
今後オフショア開発や海外進出していきたい企業に対してメッセージをお願いします!
弊社は単なるオフショア開発を目指しているわけではなく、「事業共創ラボ」をやっています。従来のように下請けとクライアントで上下関係があるのではなく、対等な関係でパートナーシップを結ぶような形でクライアントさんの実現したいことやビジョンを一緒に叶えるパートナーとして共創していくビジネスを目指しています。
クライアントさんの成功を一緒になって考え、設計し、開発するために弊社のチームがいます。そこに共感して求めてくださる企業さんがいらっしゃればぜひお声がけいただきたいなと思っています。
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ACTIONでは教育型オフショア開発プログラム(フルリモート)を提供しています。
海外で活躍しているCTOがメンターシップしながらラボ型のオフショア開発をします。
自社のエンジニアを海外でも活躍できるように育てます。
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