15年間で5カ国のオフショア開発を経験し、感じた違いと変化【株式会社ビッグツリーテクノロジー&コンサルティング 小林規威氏】

「オフショア開発」と聞いて思い浮かぶ国といえばどこでしょうか。多くの方はベトナムやフィリピンなどの東南アジア諸国、もしくは中国やインドなどのアジアの大国を思い浮かべるでしょう。オフショア開発2021によると、実際にオフショア開発を委託している先は多くがベトナムであり、大きく差が開いてフィリピンやインドとなっています。それらの国に匹敵するほどここ数年で大きく市場規模を拡大しているのがバングラデシュとミャンマーです。

オフショア

関連資料:オフショア開発委託先国別ランキング(出典:オフショア開発.com  オフショア開発白書2021年版)

バングラデシュとミャンマーの2カ国が注目されている理由は、コスト面とリソース面でしょう。オフショア開発白書2021によると、ベトナムやフィリピンと比べてこの2カ国のエンジニア単価はかなり低いです。また、人口や経済の成長率も諸外国と引けを取らないので、若く優秀な人材を安く確保できることもあって日本企業から注目を集め始めています。

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関連資料:オフショア開発先国別の人月単価(出典:オフショア開発.com  オフショア開発白書2021年版)

今回はベトナムのオフショア開発に黎明期から長年携わった後、バングラデシュやミャンマーでもオフショア開発のマネジメントを経験された小林さんに、15年間でオフショア開発がどう変わっていったかや今注目されているバングラデシュ・ミャンマーでの開発経験のエピソード、最後にこれから海外へ活躍の幅を広げていきたい企業に向けてメッセージをお送りします。

小林 規威氏|株式会社ビッグツリーテクノロジー&コンサルティング
明治大学卒業後、2004年に新卒で日系SIer企業へ入社し、インド・韓国・中国・ベトナム等へ業務委託するオフショア開発を担当。その後は銀行や生命保険、証券会社などでシステム開発にマネージャーとして携わる。2016年頃からはミャンマーやバングラデシュでのプロジェクトにも参画し、現地でパッケージやフロントウェブの開発を担当。2020年より現企業でマネージャーとして活躍。

未経験からエンジニアに、そしてオフショア開発を経験

エンジニア

エンジニアになったきっかけを教えてください!

私が就職活動をしていた当時はいわゆる就職氷河期の最中だったこともあり、様々な業界・職種を受けていました。銀行や証券、メーカー等から内定を頂いていたのですが内定承諾期間が短く、最後まで内定承諾を待ってくれた企業へ入社し、そこがIT業界の企業だったんです。

入社される前からITの勉強などはされていたのでしょうか?

いいえ、経済学部卒業で、プログラミングの知識なども全く無かったです。そういう意味では、ご縁でこの業界に入ったと思っています。入社したのがSIerの会社だったので、最初は研修でシステム設計、コーディングなどを学びましたね。

最初に入社された会社では、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?

当時は海外からのハードウェアやソフトウェア調達が流行り始めた時期でしたので、商社のように現地調達して日本で販売するということをやっていました。私自身が海外に興味を持っていたこともあり、オフショアでのソフトウェア調達を担当し始めたのが海外との関わりのきっかけです。

ビジネス

海外に携わるようになったのはいつ頃からなのでしょうか?

入社して3ヵ月ほどで、先ほど申し上げた商社のような形で現場に入り、最初はオフショア開発拠点として先行していたインドや韓国でのオフショア開発を行い、その後中国オフショアに移行していった時期で、初めてのことが多く手探りでやっていくという感じでした。

その後のキャリアで銀行にも勤めておられますが、エンジニアとしてお仕事をされたのでしょうか?

そうですね、IT畑から入っているので、銀行では証券の決済システムを担当していました。決済システムでIT業務の企画を任され実際に、要件定義をまとめてベンダーさんにお願いするといったことをやっていましたね。

オフショア開発にはずっと携わっているのでしょうか?

繋がりはずっとありましたね。初めてオフショア開発を行う際のサポートもですし、オフショア開発で知り合った人が日本進出する際のお手伝いなど、様々な形で携わっていました。

オフショアが浸透していない時代の開発に携わる

オフショア

小林さんがこれまで携わってきた国々について、最初に関わりを持たれたインド・韓国からお話を伺いたいです!

新卒で入社したSIer企業に居た時、日本国内のリソースでは足りなかったために海外リソースを使うことになったのがインド・韓国との最初の関わりです。当時はオフショア開発という言葉すらなかったような時代で、英語や韓国語を使いながら現地のエンジニア・PMにパッケージ開発等のお願いをしていました。

その後は中国やベトナムでの開発サポートに携わったと伺いました。

インド・韓国のオフショアから徐々に中国、さらにベトナムのオフショア開発へとシフトしていた時期でもあり、私は日本からの発注をサポートする役割でして、日本のエンジニアや企画部門の方々をオフショア先に連れて、会社を見てもらうというコーディネーターなどもやっていました。

コーディネーターをされていた当時、意識されていたことはありますか?

相手の立場、考え方、背景を意識しながらコミュニケーションを取ることですね。日本の商習慣・文化は彼らと全く違う世界ですし、逆も然りです。特にオフショアが走り出した2000年代は、日本人が中国やベトナムの人々を下に見る傾向があったので、一緒にやっていくためのコミュニケーションの土壌を作ることを意識していました。今でも相手を対等でないとみなすことはあると思いますが、当時はそれが顕著でしたね。

エンジニア

ベトナムには最初のSIer企業から最近まで15年ほど携わっていると伺いましたが、ベトナムではどのような苦労をされましたか?

システム開発をする時は仕様書を作りながら決めていくと思うのですが、その書き表し方が全然違ったんですね。日本は行間を読んでという形で簡潔に書く傾向があるのですが、ベトナムでは詳細に書かないとこちらの意図したものをその通りに作ってもらえないのです。向こうは契約文化なので契約書に書いてあることは守りますが、書いていないことを汲みとるのは日本独特の商習慣なのかもしれないです。

またベトナムでは日本語を第二言語として選ぶ人が増えてきまして、英語の次に日本語が人気なんだそうです。それは漫画やアニメの影響で若者を中心に日本へ親近感を持つ人々が増えてきたのでしょう。

小林さんも教育に携わっていたのでしょうか?

ベトナムの政府やソフトウェア協会と協力して、ベトナム人エンジニアの教育に関わったことがあります。日本の文化や考え方を肌で学んでもらうために、補助金やビザ取得援助の支援によってベトナム人エンジニアに日本へ来てもらい、一緒に住んで日本の商習慣の中でシステム開発を経験していってもらいました。

最初は全然上手くいかなかったのですが、少しずつ行間文化を理解して業務に使うようなシステムを作れるようになったのです。こういった文化の違いは教えるよりも経験してもらった方が早いですし、一緒に業務をしていくことで信頼関係も生まれ、その後に多少無茶な案件をお願いしてもやり通してくれます。

バングラデシュ・ミャンマーでのシステム開発

ミャンマー

バングラデシュやミャンマーでも開発をされていたそうですね。ミャンマーでは何がきっかけで、どのような領域に携わっていたのですか?

ベトナムでリソースがなくなって来た時に、IT業界の知り合いにミャンマーオフショアを使っていると話を伺い、そこからミャンマーへ興味を持ったんです。2016年ぐらいからミャンマーでのプロジェクトが始まり、初期のベトナムのような形でパッケージやフロントの開発を支援していました。

ミャンマーならではの難しさはどのようなところで感じましたか?

2016年当時はインフラなどの環境に苦労しましたね。今は政府が環境投資をしたことでかなり良くなったのですが、以前は電気が安定的に供給される環境がなく、1日に何回も停電が起きていました。また教育へも惜しみなく投資をしていて、特に情報系の大学にはお金を注ぎ込み勉強環境をたくさん作っているので、若手がどんどん成長していきます。

ただ、ミャンマーは当時も政治状況が不安定で、現在もクーデターが勃発しています。このままではコロナと不安定な政治によって厳しい状況が続いてしまうのではないかと思います。

ミャンマー

バングラデシュを知ったきっかけは何だったのでしょうか?

2010年代はベトナムが主流となりましたが、コスト面やリソース面でメリットを出すにはさらに他の国も検討する必要があったんですね。その時にお付き合いのあったJETROさんにバングラデシュを教えてもらったんです。

バングラデシュでも苦労されたと伺いました。

とても難しかったです。当時、バングラデシュでは日本企業があまり進出していなくて、親日ではあったのですがあまり馴染みはなかったです。先ほど触れたミャンマーやベトナムは日本企業も30年以上前から進出していましたし、仏教国でもあるので考え方に似た部分はありました。しかしバングラデシュは欧米の影響を強く受けていることもあり、欧米主体の考え方でした。

ただバングラデシュは今後どんどん伸びてくると思います。政府が投資を進めていますし、日系企業もバングラデシュに対して前向きな姿勢へと変化しています。2000年代後半のベトナムのようなイメージですね、オフショア開発もどんどん伸びていくと思いますよ。ケニアやルワンダなどのアフリカ諸国もオフショアが伸びると言われていますが、中国のオフショア開発拠点として開発が進められていることが多いです。それにベトナムやシンガポールと比べて日本との時差が大きくプロジェクトの進行は比較的難しいでしょう。

ニアショアとオフショアの違い

オフショア

まず、「ニアショア」について教えてください!

オフショアが日本から海外へ開発を委託するのに対して、ニアショアはもっと近い距離にある企業へ委託することを言います。例えば、首都圏の企業が国内地方都市の企業へ開発を委託することで、時差や言語の壁などが一切なく、比較的安価で開発を進めることができます。

ニアショアを使うメリットは何でしょうか?

ニアショアは日本国内なので、気質・言語が同じでやりやすいです。地方の人材の技術レベルはそこまで高くないこともありますが、向上心がある人が多いです。また、彼らとしては実績が積めますし、企業はコスト面・リソース面でメリットがありますね。

その上でオフショアが大切な理由は何でしょうか?

開発言語によっては日本人エンジニアが少ない場合があって、その場合に日本人ではなかなか安く開発することができないんです。そこそこの品質で短納期で安価でとなると、日本人に頼むのは難しいと思います。そういう部分は海外のエンジニアで補っていく必要がありますね。

また、今は「Uber」のような海外から日本に来るサービスも多く、そういった場合は海外のエンジニアと日本人が協力することが絶対に求められるので、海外のエンジニアをまとめられる人材は必要だと思います。

若い方から今後のキャリアについて相談を受けることもあるのですが、日本の大手企業で一通り学んでからいきたいという人が多いです。でも数年後に海外に行きたかったり、人と違うことがしたいというのであれば、最初から向こうの会社に就職してしまえば良いと思います。今はリモートで仕事をする環境は整っていますし、直接向こうの考え方も学べますからね。

小林さんが感じるオフショアの課題は何でしょうか?

今はどの企業もオフショア開発を当たり前に使っていて、大企業であれば失敗や苦労を経験した人が社内にいますが、中小企業となると未経験なこともまだ多く、コミュニケーション・文化の壁にぶつかってしまうことです。委託元だけではなく、オフショア開発先も大手からベンチャーがあって、成長も著しい反面で教育が行き届いていないこともあります。チグハグしたそういう企業同士でプロジェクトを進めようとしても大抵は失敗しますね。そこで、そういった溝を埋められるような支援、教育、仕組み、サービスがあると解決できるのではないかと思います。

ビジネス

小林さんがオフショア開発の中で、今後やっていきたいことを教えてください!

「日本から海外の会社へ」というプロジェクトが多いですけど、「欧米や中国から日本に来るサービス」も増えています。今までオフショア開発の拠点だったべトナム、ミャンマーやバングラデシュで展開しているサービスを日本やそれ以外の国々でも展開していきたいなと思っています。

最後に

今後海外に進出していきたいと考えている企業へメッセージをお願いします!

何をやっても最初から失敗は必ずゼロじゃないです。失敗して諦めるのではなく、必ず振り返ってください。そして振り返った結果、次へ進むことができます。めげずにチャレンジしましょう!

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