Ricky Miyagi 氏 | Web Outsourcing Gateway Inc
多摩美術大学在学中にアメリカ留学を経験した後、帰国後Ride Record Incに入社し、アートディレクターとしてのキャリアを積む。その後も諸々のデザイン系の会社でCEOを務め、ウェブ・アプリ開発に取り組む。その間香港オフショアにも携わり、現在はフィリピンでWeb Outsourcing Gateway Incを立ち上げ、CEOとして新プロジェクトに従事する。
アメリカでのリベンジを果たすためにフィリピンでオフショア!
現職に就かれたまでの道のりについて教えてください!
僕は元々美術系の大学に行っていまして、元々絵が好きだったこともあり、グラフィックデザイナーになろうと思っていました。その後大学を中退し、アメリカに少し留学してそこで良くも悪くも色々な経験をしました。帰国後、当時の日本って今以上に学歴志向で、大学中退って学歴でいうと高卒な中、僕はたまたま縁があってアシスタントとしてそれなりの規模の大手の制作会社に入れてもらうことができたんです。そこからキャリアを重ねることができ、たまたま良い仕事をいっぱい経験させてもらえて、僕の名前を皆さんに知ってもらうことが増えて、独立できるようになったという感じですね。
海外でオフショアを始めるに至った背景についてお伺いしたいです!
独立し、おかげさまで海外でお仕事させてもらえることが増えたんですね。デザインや映像の方で絵画のクライアントやアーティストと仕事をさせてもらえることがちらほら出てきた中で、50%は勘違いしちゃったんでしょうね、俺海外で行けるかもって(笑)でも50%はアメリカに留学して、アメリカには敵わないというか。日本人ってこういうポジションしかもらえないんだって。若い頃はこんなグローバルな時代じゃなかったので、どうしても日本でもこんなレベルなんだと、すごくショックだったんですね。だからちょっとリベンジ的な要素もあったんですよ。海外で結果を出したり賞を取らないとと。そうするためには、現存の日本人のスタッフだと、まずは英語が話せない。グローバルなセンスが乏しい。センスが良い子はいるんですが、グローバルなセンスとドメスティックなセンスはやはり違うんですよ。そこでその当時の候補がマレーシア、シンガポール、フィリピン。いずれも英語の識字率が高いところなんですが、その中で最終的にコスト面とかを含めてフィリピンを選んでスタートした今までの経緯です。
どのようなことがアメリカで起こったのかお聞かせ願いますか?
明確な差別を感じましたね。当時例えば東南アジアの人が日本に来るときにノービザの国もあればビザが必要な国もあると。そこにはやっぱり国が国を評価しちゃってるんですよね。僕ら日本人がアメリカに行く時もビザが必要だったんですよ。ビザもらうためには預金残高とか出さなきゃいけない。その中で留学していって日本は急成長していたがアメリカから見たら日本はアジアの中でちょっと進んでいる国ぐらいにしか見られない。じゃあアルバイトしようと思ったんですがそこでも黒人ヒスパニック系やアジア系ができるような仕事しか取れなかったのでそういう現実を見ましたね。でもやっぱりアメリカはそのアイデアやマーケットの大きさがすごいとその当時から思いました。だからそれをアメリカでリベンジする前に一度戻ってアジアの中でちゃんとポジショニングを明確にし体力もつけてそれでもう一回グローバルにチャレンジしたいなと決心しました。
海外と日本のイデオロギーの違いを利用した効率的なオフショア開発の使い方
日本と海外の企業の違いは何かありますか?
エンジニアだけではなく、クリエイティブチームとマーケティングチーム、運用チームがいてそこがベースの中での案件になるので、日本の企業が安価な労賃でオフショア開発を探しているのであれば、うちは無理だと断っているんです。あとフィリピンも向いていないと言っています。それぞれの国には文化と労働環境があって、その中でオペレーションしています。日本企業のオフショア開発はクオリティと労賃を重要視するので。うちの会社は日本のクライアント数は多くないんですが、そういうことを理解してもらっている上で長いお付き合いをさせていただいています。
日本は視野が狭い企業が多く、安い労賃を求めると同時に100の品質を求めるんです。でも海外の企業だと視野がグローバルで、米国企業などは大手企業でもオフショアでも80でいい。20は自社の優秀なエンジニアに頼むという風なイデオロギーの違いが分かったので、であれば英語が話せてアメリカの方に考え方が似ているフィリピンの方が(日本企業と仕事をするより)よほど効率が良いという考え方に至りました。
オフショア開発に向いている人やメリットについてどう思われますか?
今後は労働力不足が深刻化してもっと顕著になると思います。オフショア開発には人材などのリソースを確保しないといけない。だから海外向けに販路を拡大したいなら、オフショアをシステム開発だけではなく、リソースを確保するためなど、違う側面でも活用すべきだと思いますね。
実際に現地で働く前と後で東南アジアに対するイメージは変わりましたか?
バックパックで旅行したことはあったんですが15年以上前の当時はフィリピンもカオス状態だったんです。そこにも東南アジアの面白さがあるんですがその中で仕事を始めてみると思った以上に大変でした。スタートアップには人が集まらなかったので先進国のように夢を追っかけて、ではなくより現実的に食っていけるかが大事だったので。良いオフィスを借りて、コストをかけてじゃないと人は集まらなかったですね。
オフショア開発を成功に導く鍵を教えてください!
なぜフィリピンなのか?が明確にならないと、オフショア開発を有効に活用できないと思います。日本は未だに昔の日本の感覚のままのようなところがありますが、このままだと日本じゃリソースを確保できないのではないと感じます。もっと現実をみて、もっとアジャストしていかねば、マンパワーの確保は難しくなっていく気がしますね。
フィリピンオフショアの魅力
フィリピンを選んだ理由について詳しくお伺いしてもよろしいですか?
マレーシア、シンガポール、フィリピンと、3つの国の選択肢があった中で、まずマレーシアは多民族ですから民族間の中でもプチ差別は必ずあると思うんですね。シンガポールも同じで民族間で明確にポジショニングができているので、例えばインド人が上司になると中国人がやめてしまうとか、そういうプライドがあるのでそういう難しさがあるなと思いました。その中で、フィリピンは唯一多民族ではなく、カトリックだからより欧米に近いイデオロギーがあって、英語もできるし一番アメリカに近いセンスを持っていたんですね。それでフィリピンを選びました。
オフショアをしてびっくりされたことはありますか?
日本のエンジニアよりもフィリピンの方が最先端の知識を持っていたことですね。半年から一年くらい情報が早かったんです。日本だったら翻訳して情報が届くからタイムラグが出る中、フィリピンは英語だからオンタイムでアメリカからのトレンドの情報が届んです。そういうのを見ているとオフショアでも侮れないなと思いましたね。
エンジニアの採用市場の課題についてどう思われますか?
10年前のオフショア開発の課題は、知識や技術はあるが経験値が足りないということでした。当時は開発してもEC自体が発展していない為リアル感がなかったんです。それが今は、東南アジアでは日常的にオンライン化されているので大きな弱点はないと思いますね。
生産効率をあげるには距離感が大切!
エンジニアのマネジメントで大変だったことはなんですか?
自分がエンジニアじゃないから、エンジニアをマネジメントするのは大変でしたね。あとはアジア圏の人材を使っていくと、倫理観が明らかに違いますね。履歴書に嘘書くなどそういう本質的なところで苦労しました。
言語面での苦労はありましたか?
コミュニケーションができる程度はできていたので英語は問題なかったですね。経営者の熱量が明確に伝わると、彼らも(部下も)一生懸命理解しようとするのでそこのゾーンにいかに持っていけるかだと思います。だからこれから海外に進出される方も言語面はそこまで課題になるとは僕は思っていないです。
海外エンジニアとの熱量の違いで苦労されたことはありますか?
誰かとの熱量の違いというより、自分に熱量がありすぎると自分が疲弊してしまうんですね。ベトナムだからタイだからしょうがない、という人もいるが僕はそうは思わないんですね。でもストイック過ぎても自分が疲れてしまうというのは分かったので、そこで学んだのは適度な一定の距離感をうまく保つことです。
距離感が保てなかった場合の例としてはどのようなことがありましたか?
みんな必死に生きているので、誰かが病気になって、お金が大変になったなどで前借りさせてくださいと言って、最初は貸したんですが一銭も返ってこなかったんですよ。そうなると、良い人材でも辞めていってしまうんですね。だからそれを防ぐためにも、そういう風に言わせないような適切な距離感を取るようになると、どんどん良くなり、最終的に断然生産効率も上がって行くという結果が出ました。
海外で経営!続けていくための秘訣
海外で経営をし続けていくためのモチベーションの保ち方を教えてください!
モチベーションは高くも低くもなく、ニュートラルにいたんですね。高すぎると、うまくいかなかったら自分にダメージがあるけどフィリピンの良いことも悪いことも楽しんできたので。あとは自分の中でロードマップを設計していたんですね。その中で大きくずれずに進めてきたので嫌なことや大変なことがあってもそこからずれてなければ良いから苦にならなかったのはありましたね。
目標などは具体的にありましたか?
ないですね。あるとすれば僕の世代というと世の中がアナログで、それがデジタルになるときいいセンスを持っているデザイナーであっても転換できなかった人たちはおのずと廃業せざるを得ない、そういう人いっぱいみてきたんですね。そういう時に僕はこれからデジタルだと思って切り替えて、業界の中では功を奏して生き残れた方なので、だからこれからはやりたいことをやろうと。それが一番だと思っています。まずは60まで好きな仕事をやり切れたらそれで幸せだと。理想は65以降はもうやる気もないんで今やっているプロジェクトをスタートさせてそれをやり切れたら自分の中ではクリアかと思っていますね。
最後に
今後の展望についてお伺いしたいです!
まずは現在のプロジェクトを成功させることです。今日本を対象にしない自社サービスをやっています。求人サイトの作成をフィリピンで始めて、まだ収入化はされていないんですが、それなりのボリュームになってきました。もう一つ、グループウェアを開発しています。それも企画・ブリッジ全て現地チームで、ターゲットも日本ではなくグローバルマーケットです。他社はシステム的に優れていると思いますが、僕らが僕らであるためにも視覚的にほんの少しシンプルでセンスが良いもの、そこにこだわっています。
日本国内で宣伝するより、結果を出してから逆輸入的にやるのが僕らの理想なんです。オフショア開発をしている者なら、そうであるのが一番面白いと思います。経験とノウハウを持って、クライアントにアドバイスできるのがやっぱり良い関係性だと感じますからね。そのためにも僕らも実績を出さないといけないと思って今このプロジェクトに取り組んでいます。
海外に活躍の場を広げたい企業・エンジニアにメッセージをお願いします!
エンジニアだけじゃなくて、日本人はどんどん海外に出た方が良いと思いますね。それが1年でも2年でも、経験することが自分の財産、ポートフォリオになると思うので。日本市場の中だけ生きていくのは難しいからグローバルに通用する経験、スキルが必要だと感じます。また、海外で違う文化の違う人たちとコラボレーションしていくことがこれから先どんどん大切になってくると思うので。日本企業はグローバル化が始まっている中で現実を知り、アジャストしていく方が良いですね。そうしないといずれリソースの確保とかにも限りが出てくると思います。
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