東南アジアと聞いて、フィリピンが思い浮かぶ人は多いのではないでしょうか。セブ島やパラワン島などのTHE 南国というイメージ、発展著しいマニラのイメージなど、日本人にも馴染み深い国だと思います。
そんなフィリピンは、近年オフショア開発の拠点としても注目を浴びています。フィリピンでのオフショア開発の特徴として、英語を使い慣れている点があります。公用語のひとつが英語だからです。cudoo.comによると、フィリピンはアメリカ・インド・パキスタンに次いで世界で4番目に英語話者人口が多い国と言われており、国民の92%程度である約9,000万人が英語を話せると推定されています。
英語サイトやグローバル向けの製品開発の実績も多く、オフショア開発先として有望な国になっています。特に、英語で開発を進められる場合には、人材の層が一気に広がります。
また、日本から見ると時差が1時間しかないことや親日であることも魅力的な部分で、フィリピンの企業へ開発を委託するケースも増えてきているようです。
関連資料:WHICH COUNTRIES HAVE THE MOST ENGLISH SPEAKERS?
今回は株式会社マサナカの代表を務める中川さんに、英語が話せない状態からフィリピンに渡航し、拠点立ち上げをした経験やマネジメントで意識していること、今後の展望などを伺いました。
中川 雅志 氏 | 株式会社マサナカ
新卒でシステム開発会社に入社され、25歳の時に起業。その後は大手コンテンツプロバイダで100人規模の開発組織の技術統括経験、中国でオフショア開発、副統括部長やアドテク企業で基幹プロダクトを統括・副本部長として活躍される。2017年からD2C企業でエンジニア組織をゼロからの立ち上げ、フィリピン開発拠点の立ち上げ、取締役CTOを経験された後、現在は株式会社マサナカ、複数の会社の技術支援・顧問を務める。
小学生の時からコードを書き始める
エンジニアになろうと思ったきっかけを教えてください
小学校の時にコンピューターをもらって、その仕組みに興味を持ちました。コードを書き始めたのは4年生か5年生の時でしたね。プログラミングについては基本独学で、本から学びました。
ファーストキャリアはどのようにして選ばれましたか
就職活動はあまりせず、新卒でシステム開発会社に入りました。その後、25歳の時に同僚と会社をつくりました。事業内容としては、受託開発や、漫画を読めるようなアプリの自社開発です。漫画を読むプレイヤーとしてはいいものができていましたが、結果としてビジネス的にはうまく行きませんでした。
海外に興味を持ち始めたのはいつですか
初めての海外旅行は1ヶ月間の中国滞在で、中国大陸を東から西へ横断しまして、そこが海外を意識するポイントになりました。物価をはじめとして、日本との違いを感じて衝撃を受けました。
フィリピン拠点立ち上げ
フィリピン拠点立ち上げの経緯を教えて下さい
当時日本のエンジニア採用が難しく、エンジニアを確保する必要がありました。そこで、日本にこだわらずに海外に拠点をつくることになりました。社長にプレゼンをして、承認を得てからその年の年末には現地にに拠点をつくって翌年の1月には採用を開始しました。
フィリピンを選んだ決め手は何でしたか?
当時有望だったのはベトナムでしたが、人気により価格が高騰していました。そこで、ベトナムに比べて単価が安く、英語が使える上に30人くらいの規模はすぐに集められるだろう、ということでフィリピンを選びました。
フィリピン国内で比較すると、首都であるマニラはエンジニアとしての賃金が高いです。選んだのはセブで、マニラの7割~半分くらいの賃金でした。
苦労したことはありましたか?
一定の大学を卒業したエンジニアは賢さはありますが、案件を回した経験がなく経験値が不足していたため、ベーシックのスキルをインプットするのに時間がかかりました。しかし、若さゆえの勢いと新しいことを学びたいという姿勢をもっていました。
マネジメントのポイントは共通認識を持つこと
海外で仕事をする際、コミュニケーションの難しさの要因は言語や文化の違いなのでしょうか
期待値がずれているところが難しいところです。日本人は行間が読めますがオフショア開発の際にはそうもいきません。最初は期待しないとか雑用しかやらせないとか日本で直すとか、そういうスタンスで、そもそもちゃんと伝えるということをやっていませんでした。
言語については、我々はエンジニアなので図などを用いることで視覚的に伝えられて、言語の差は埋めることができていました。
仕事を進める上でどのようにしてその認識の差を埋めていきましたか
まず、バックグラウンドの目的を説明することです。次に、完成品のイメージを伝え、どういうものを期待しているか、作業のゴールは何かを明確にするようにしています。加えて、仕組み化をして再現性を高めています。
仕事に対するマインドを形成していく上で気をつけていることはありますか
文化とか考え方の違いは前提を盛り込んだ上でマネジメントをすることが必要だと思います。評価の仕組みを明確にし、品質を担保するために大切にするポイントを共有していきました。そうすることで日本側の企業の担当者の意識も変わってきます。例えば、ビジネスのバックグラウンドとかユーザーのフィードバックなどの情報格差に気がつくことができるようになります。
日本人のプロジェクトマネージャーへのの教育、知見のシェアはしていましたか
言葉では伝えていましたが、手っ取り早いのは現地に連れていくことだと思います。直接話すと、これだけできるんだということが分かります。また、一緒に作業することも大切です。日本にいたらこれだけ情報取れるけど、向こうでは取れないんだなと実感します。
海外での開発経験を経て独立
起業に至った経緯を教えて下さい
元々いろんな企業に対して支援をしてて、その事業のために法人を立てました。
これまでのご経験が今の事業に活きているエピソードがあれば教えて下さい
海外での拠点立ち上げやマネジメントの経験があって、注意しなければいけない点は分かっているので、柔軟に交渉できるようになりました。それに、実は英語は元々得意ではなくて、フィリピン拠点を立ち上げる時に、英語は全く話せなかったんですよね。でも行けば何とかなるだろうという気持ちで飛び込んだので、そういった意味でも心理的な距離が近づいたかなと思います。
オフショアのチームを持っているんですか?
はい。 ベトナムとフィリピンに持っていて、案件の特性を加味して開発を進めています。
日本人のブリッジSEはいますか
いません。基本は一人でつなぐところがメインで、必要な時にはパートナー組み合わせたりしています。繋げる役割だと思っているので、そこまで事業は拡大していないです。
日本人のエンジニアの育成にも関わっているのですか
支援している海外のチームを預かって、3つくらいのチームを見ています。日本人のエンジニアがどうやって海外をマネジメントしていくかのアドバイスするために定期的にコンサルという形で携わっています。
日本人のエンジニアが抱えている課題はありますか
それは2つあります。
まず言語の面です。コミュニケーションで障害を感じる人が多いですし、日本人が海外で活躍できない一番の理由だと思います。ただ、英語力が足りないというよりは、英語を話すことに抵抗があって、間違えてはいけないと思っていることが壁になっているのではないでしょうか。私も英語は全然できなかったですが、アジア圏の多くは英語ネイティブではないので、そこまで身構えずに話していてもコミュニケーションとれています。
2点目は、期待しすぎてしまうことです。日本人のエンジニアは真面目で、行間を読むことを前提としていることもあって、周りや委託先に期待しすぎてしまう部分があると思います。ですが、海外の方と働くなら常識は通じませんし、行間を読んで伝えた以上の品質が来ることはないでしょう。この2点は多くの日本人エンジニアが抱えている課題だと思います。
最後に
今後の展望を教えてください
海外に展開していきたいと思っています。もともとエンジニアはどこでも働けるスタンスでしたが、コロナが広まったことで場所は関係なくなってきています。より展開をしやすいところを考えて拠点を広めていき、最終的には日本を元気にしていきたいです。日本のエンジニアが海外で活躍できるパイプを作り、日本の発明を世界に広めるなど日本のためにできることがあればやっていきたいと思っています。
今後海外に展開していきたい企業・個人に一言お願いします!
考えるより動いた方が早いです!とりあえずやってみたらいいと思います!
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